国旗・市旗の掲揚を求める請願に関する討論

先日閉会した6月議会で、「請願5-1号 : 長岡京市議会議場に国旗・市旗の掲揚を求める請願」が出されました。「請願」とは簡単に言うと ”市民からのお願い事” です。そのお願い事に ”紹介議員” があるものが「請願」で、それがないものが「陳情」というらしいです。

今回の請願の内容は次のようなものです。

紹介議員

坪内正人議員、八木浩議員、上村真造議員、
岩城一夫議員、黒田基議員、田村義明議員、
冨岡浩史議員、藤井俊一議員


【請願趣旨】

1. 長岡京市議会議場に国旗・市旗を掲揚されたい。

【請願理由】

長岡京市では、市役所庁舎や公共施設で国旗・市旗が掲揚されていますが、市議会の議場には、市のシンボルである市章は掲示されているものの、国旗・市旗は掲揚されていません。

議場は、選挙によって市民の負託を受けた市長、議員が、市民の幸せのために議論を交わす場所であります。国旗・市旗を掲揚することは、国民(市民)の存在を強く意識させるものであり、その存在の前で、議論が交わされるべきではないでしょうか。

オリンピックやワールドカップに出場する選手は、「日の丸」を背負うことに誇りと責任を感じて、世界を相手に戦っています。私たちはその姿に感動を覚えるとともに、日本国民としてとして誇りを感じ、国民としての義務を果たすことを改めて自覚するところです。日本国民(市民)として、国土やふるさとに誇りと愛着を持たなければ、国や市をより発展させることはできないと考えます。

「日の丸」について、様々な考え方があることは重々承知しています。一方で、平成11年に「日の丸」が国旗であることが「国旗及び国歌に関する法律」により制定されました。そのことを多くの国民が理解し、国旗に対し敬意と誇りを持つことは当然のことであります。また、日本国憲法、地方自治法に基づき設置されている市議会は、法を敬い順守することが強く求められるべきところであり、隣接する大山崎町議会では、すでに国旗・市(町)旗が掲揚されています。

長岡京市議会においても、議場に国旗・市旗を掲揚されることを強く求めるものです。

この請願に対して、日本共産党市議団は反対立場で討論をされました。その内容を私なりに解釈すると、請願の文章にもあるように「日の丸について様々な考え方がある上で、あえてこの時期に議場に国旗を掲揚する必要がないのではないか」ということだったように思います。

もうお一方、今度はこの請願に対して賛成の立場で討論された議員さんがいらっしゃいました。ほうれんそうの会という会派の大畑京子議員です。この時に討論された際の原稿を大畑議員に頂きました。その際に、原稿について「どのように使って頂いても結構です」とのお言葉を頂きました。

その原稿の扱いを考えた結果、このブログに掲載したいと考えました。原文をそのまま掲載したいと思いますので、お読みいただければと思います。

平成25年6月20日
大畑京子

長岡京市議会議場に国旗・市旗を掲揚されたいという請願に対し、大畑京子として意見を述べて賛成します。

日本国旗は平成11年に法制化されましたが、それに先立つ150年前、近代国家としての日本がようやく成立しようという幕末において、対外的なシンボルが必要とされたときに、日の丸の幟や旗が幕府の海軍艦船に取り入れられたことに起源があると、ものの本にあります。1854年の日米和親条約の調印後のことであります。
その後、日本も領土・国民・主権を備えた中央集権的な欧米近代国家に仲間入りして、日の丸は国旗としての地位を政府において認められてきたと思います。ただし、第二次大戦の敗戦後4年間、連合国軍司令部、GHQの指令で日の丸の掲揚が禁止されました。そのことからも、日の丸が対外的にも国旗としての地位を実質的に占めてきたことが分かります。

日の丸の掲揚禁止が解除された後に、私は学齢期となりました。天皇行幸の車列を日の丸の小旗を持って出向かえたこと、祝日に家庭で日の丸の旗を出すのが私の役目であったことなど、無邪気であった子ども時代を懐かしむものであります。

その一方で、実の父は中支と呼ばれた中国湖南省で戦病死したことを小学5年生で知りました。また育ての父が南方のガダルカナル島から帰還したことも知り、アルコール中毒に蝕まれた私の家庭の悲惨を、戦争に結びつけて考えました。日の丸を祝日に掲げるのを役目としていた私は、次第に無邪気を失い、赤紙1枚で父を招集した国を恨みました。父が所属した中支派遣の第11軍、その第216連隊史には、炎暑の夏、一人30キログラムの装備を背負い、日に20キロメートルを行軍するうち体力を消耗した兵は、手榴弾で自爆死し、その移動作戦で38名が自死したと記録されています。同様に、南方のガダルカナルは飢えの島、餓島とよばれ、戦いではなく飢えとマラリアで半数の兵が死んだのです。その飢餓の島から帰還した育ての父が、現代で言うところのPTSD、精神的外傷によって家庭内暴力に走ったのだと、私は長じてから漸く理解しました。

このように、日の丸は、理不尽な人生を様々強いてきた象徴だと思う国民は今なお現存し、それは、日本軍が戦争を展開した諸国の国民においても、同様であるでしょう。

日の丸は、富国強兵で近代国家を形作ってきた、輝かしいシンボルであるとともに、国家権力に蹂躙された人々の、負のシンボルとも意識されます。

それを同時に包摂してきた日本の歴史を学び、これからの長岡京市の市政を方向づける議場で国旗を市旗とともに掲げる意味は何か、この議場にいて常に考え続ける、それが肝要だと思います。

具体的には、憲法に規定する市民の個人としての人権を尊重するために、人との関わりが希薄になった地域社会で、様々に人との縁を作ってゆくことがこれからの本市の課題であります。長岡京市においては市民一人一人が幸せに暮らせるよう経済活動も政治も構築してゆく、それが議場で議論され続けるように願うものです。

その点、本市では議会改革の検討もゆっくりではありますが、着実に進みつつあります。市民に開かれた議会となることが、国旗・市旗の掲揚により一層前進することを願い、私の討論といたします。

この討論の後、議場内にパラパラとではありますが拍手が起こっていました。

不謹慎かもしれませんが、私は国旗や国歌について特別の感情を持ちあわせていません。育ってきた環境なのか、家庭環境なのかは分かりませんが、そうなのです。しかし新聞報道やネットの記事などを見て、国旗や国歌について色々な意見があることは知識として知っています。

この大畑議員の討論は、これまでの様々な意見とは違うアプローチなのではないかと感じました。そして、また新たに勉強することができたなと感じています。

この討論に関して ”も”、様々な意見があると思います。何か意見や感想などがありましたら、この投稿の下に付いているコメント欄でも結構ですし、お問い合わせフォームからでも結構ですので、お聞かせ願えると嬉しいです。


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