投票を終えて・・・
長岡京市議会議員一般選挙の投開票が終わりました。私は以前の投稿で、1票を投じることに真正面から向き合ってみるということを書きました。またそのために「候補者探訪」という企画で、できる限りたくさんの候補者の方にお会いすることを続けてきました。
今回のブログでは、「候補者探訪」のまとめを行うとともに、その中から1票を投じることに向き合った後に感じたことを書きたいと思います。
ですがその前に・・・
投票率は過去最低
今回の市議会議員選挙の投票率は 49.86% で、この数字は過去最低の数字なのだそうです。ですがあまりビックリはしていないんです。私は周りには投票率の予想を 48% と語っていたぐらいですから。根拠はそれなりにあるのですが、ここではその根拠の話ではなく、「投票する理由」「投票しない理由」を考えてみたいと思います。
投票する動機
今回の選挙で投票した人は、なぜ投票したのでしょう?
- 投票することで政治に参加できるから
- 権利を行使するため
- お出かけするついでに
- 知り合いに頼まれたから
- 投票に行けと言われたから
よく耳にする投票の動機を並べてみました(他にもあると思いますが)。
投票することと政治参加を結びつけている人は、かなり少数派だと思います。私が聞いた印象だと「知り合いに頼まれたから」という理由の方が多いような気がします。もしもこの理由が多数派なのであれば、この投票率が示す答えは「人と人との関係が希薄になっている」ということになるのでしょうか・・・?
私の立場で言えば、今回立候補された方の中には以前からの知り合いもいれば、候補者探訪をしたことでお話していただけるようになった方もいらっしゃいます。言い方を変えれば、私は候補者の方との直接の接点を持っていることになります。当然、投票には行きます。
私の直接の知り合いだったり、このブログを読んでいただいている方はどうでしょう? 別の人(この場合は私)のフィルタを介してですが、間接的に接点を持っていることになります。全く選挙に興味が無いわけではないので、投票に行く確率は高くなるはずです。
ではそういった、選挙に全く接点がない人はどうでしょうか? 投票に行く確率は一気に低下すると思うのです。そして、それがこの長岡京市で起こっていることなのではないかと、私の個人的な考えですが思うのです・・・。
「候補者探訪」から見えたもの
私は「候補者探訪」の企画の中で、
「私が市政に興味を持ったり知ったりするためには何をしたらいいですか?」
という質問を続けてきました。候補者の皆さんからは、様々な答えが返って来たのですが、私はその答えの意味するところを1週間考えてきました。考えて考えて考えぬいた先に出てきた言葉は、あまりにも単純であまりにも当たり前なものでした。それは、
「興味を持ったり知ったりするためには、興味を持ち続けること」
というものです。矛盾しています。良くわかっています。ですがこの言葉が出てきたのです。
候補者の皆さんから頂いた回答に共通する部分に、「発信」と「調査」というキーワードがありました。この場合の「発信」は私(市民)が発信するということなのですが、
”発信” するためには ”調べないと” いけない。”調べる” ためには足を運ばなければならない。”足を運ぶ” ためには ”興味を持たないと” 続かない。”興味をもつ” ためには ”発信” するのがよい。”発信” するためには・・・
市議会の傍聴を中心に「見たこと」「知ったこと」「学んだこと」を書き記していこうと始めたこのブログですが、私が市政に興味をもつためには、このブログを続けていくことがその答えなのかもしれないと、今更ながらに実感しました。
市議会傍聴記は続けるべきなのか・・・
私は「市議会傍聴記」を続けるべきなのでしょうか・・・。たぶん、興味がなくなったらブログを続けていくことはできないと思います。興味というのはきっと、エンターテイメント性や明確な争点を期待するということではありません。
議会は、たくさんの人が関わることで構成されます。議員の方だけのものではありません。行政側の職員(理事者)の方もその一員ですし、私はインターネット中継の視聴者を含む「傍聴者」も議会を構成する大事な要素だと思います。
その傍聴者として私は、もうしばらく議会を傍聴してみたいと思います。今回の選挙の結果、7名の新人議員さんが誕生しました。現職・元職・新人のそれぞれの方が、選挙戦やリーフレットで訴えられてきたことをどのように議会の中で反映されるのか、今の私はとても興味があります!
もうしばらくは、傍聴席に通うことができそうです・・・